散文的に笑う。

ネットコミュニティに巻き込まれたいサラリーマンの雑記

ネットで恋をしたおねえさんが亡くなっていた

15歳。高1の秋、僕は21歳のおねえさんとインターネットのチャットで知り合った。

前の記事と同じチャットだった。

ネットで出会ったメンヘラ美少女に恋をした16年間 - 散文的に笑う。

 

写メ交換で見たおねえさんは黒木瞳をとびきり若くした感じで、それはもう美人だった。

お父さんが大きめの自営業者で、高校卒業以来そこで働いてるという自由気ままなおねえさん。

 

当時やっていたドラマや映画の話題でひとしきり盛り上がって、結構すぐに会うことになり、僕らは梅田で待ち合わせをした。

普段はなんばで遊んでるおねえさんを梅田でどこにつれていけばいいのかもわからず、なんとなくジョイポリスで無難な高校生デートをしたあと、晩御飯はおねえさんにつれられてアジアンダイニングに行くことに。

当時はまだ未成年飲酒確認もゆるかったこともあり、おねえさんにすすめられるまま僕はカシスオレンジを飲んだ。

甘酸っぱくて、おねえさんとの関係そのものみたいな味がした。

 

そんな、他愛も無い初デートを終えたあとも、チャットはずっと続いていたし、僕はどんどん好きになっていた。

チャットだけじゃなく、長電話も何回もした。

家はすごく離れていたけど、電話をしながら一緒にしし座流星群を見てそのロマンチックな瞬間に思い切り溺れていた。

 

当時、おねえさんと一番盛り上がっていた話題はドラマ「恋を何年休んでますか」。ここに出てくる、黒木瞳とその旦那の後輩役をしていた伊藤英明の年の差恋愛。

お互い口には出さないけれど、この二人に自分たちを重ねていた。だって、おねえさん黒木瞳そっくりなんだもん。

この二人がドラマ中見に行った映画「スウィートノベンバー」。11月だけの限定恋愛の話。

2回目のデートはもちろんこの映画だった。

 

予定の都合上、なんばの映画館で映画を見たのは11月30日。街がクリスマスムードに彩られ始めた日。

映画のヒロインもまさにおねえさんと同じような自由奔放でつかまえたくなるけどつかまえられない可愛らしい女性だった。

 

僕はこの日におねえさんに告白しようと決めていた。もちろん21歳が高1なんかと付き合ってくれるわけがない。玉砕覚悟。

映画のあとモスバーガーで晩御飯を食べながらいつ告白するか勇気が出ずに思案していた。

そんな僕を見抜いてかおねえさんが切り出した。

「この後どうする?」 

とっさに答えられない僕におねえさんは続ける。

「うちくる?」

その質問には即答した。

 

名前だけは聞いたことあるけど、はじめて来るおねえさんが住んでいる街。駅は大きいけど離れるとすぐ暗い住宅街に入る風が強いさみしい街だった。

「ぴったりしたいX'mas」が流れる最寄りのコンビニで二人分のお酒を買い込んでおねえさんの家にお邪魔する。

はじめて入った女の子の一人暮らしの部屋がその部屋だった。デロンギのタイマー設定で既に部屋は暖かかった。

 

おねえさんは部屋に着くなり、暗くして間接照明とテレビの光だけにして乾杯した。

ちょっとの雑談の後、僕はやっとの勇気を振り絞って好きです、と告白。

返事がないまま押し倒されて僕らはセックスをした。

たぶんそのまま3回、起きて1回ぐらいしたんだけど、ついに返事は聞けないままだった。

 

なんとなくそのまま日々は過ぎたけど、一週間後意を決して返事を改めて電話で聞くことに。

もちろん返事はノー。さすがに付き合えないと。僕がおねえさんとセックスするまでに2人経験があることに興味があり、童貞じゃない高校生とセックスしてみたかっただけと告げられる。

まさに僕が恋した期間はスウィートノベンバーだったと突き放された瞬間だった。

 

だけど、セックスだけなら続けたいとおねえさんは言うので僕はあきらめなかった。

呼び出されたら家まで行き、おねえさんの家から学校に行く日もあった。おねえさんが求めるセックスができるよう教育された。上達するたび褒められた。

でも会うたび思いは伝えるが、笑って流された。

 

むしろ僕の好意を避けるかのように重い過去を次々打ち明けられる。

援助交際していたこと、道で拉致されてレイプされたこと、バツイチなこと、妊娠したけど流産したこと。

もしかしたら避けるための嘘かもしれないけど、僕は一緒になって泣いた。

 

僕の思いはエスカレートしていて、クリスマスイブを過ごしてくれた時にはティファニーをプレゼントしたし、おねえさんの22歳の誕生日にはバラを贈った。

おねえさんはいつもそれに笑ってくれていた。

でも、バレンタインデーの日はサプライズで遠い僕の家の最寄まできてくれて手作りチョコをくれたから、なんとなく気持ちは繋がっている気はしてたんだけど、それは勘違いだった。

 

ホワイトデーも返せていない3月上旬。電話でシンプルにフラれた。「飽きた」と。

まぁ泣いたし、まぁ勉強も手がつかなったけどしかたない。

おねえさんと絵文字を贈り会うためにJ-PHONEに替えたのだけは痛かったけど飲み込むことにした。楽しい半年間だったと。

 

とはいえ、思春期の男がこんなおねえさんと出会って忘れられるわけがない。

ミクシィTwitterFacebook。新しいSNSができるたびに彼女の名前で検索した。でもずっと見つけられなかった。

 

僕が社会人になったある日ふと思い出す。おねえさんの実家が自営業だったこと。働いてたんだし、何か手がかりがあるかもしれない。

お店のホームページを見つけ出し、社長ブログを確認する。おねえさんと同じ名字の社長だ。間違いなくお父さんだ。

そのブログの全文検索に彼女の名前を入れる。

最初に出てきたのが、お父さんが彼女の命日に墓参りに行った記事だった。

仕事中にもかかわらず涙が止められなかった。

さらに過去の記事を読むと、お父さんがリンクを貼っていた。おねえさんの闘病ブログだった。

 

僕と会わなくなってからの詳細は分からない、でもどこかのタイミングで再婚していたようだった。そしてそれから間も無く重い病気を発症。だんだんと死を目前にした旅行、通院から入院、毎日身体を動かさなくなって行く様子が綴られていた。

最後の更新は旦那さんの代筆記事で、読者への亡くなった報告と最後の様子や言葉が載っていた。

 

信じられなかった、自由奔放で破天荒でエロくてめちゃくちゃ楽しいおねえさんが30歳で亡くなっていた。

親しい若い人が亡くなった経験がなかったので一際衝撃だった。

お墓参りにも行けない関係なのも悔しかった。

 

忘れられなくて、近況を知ってもう関係ない人だと知って忘れたいから調べたのに。もっと忘れられなくなった。

淡い青春の記憶で留めておけばよかったのに、僕は知ってしまった。

 

どうすることもできないけど、この衝撃はやっぱりインターネット上に残しておきたくて、それが一番のこのブログをはじめたきっかけでもあったのです。